平成29年4月13日(木)

思うに、似ているコンテンツを選んですすめることが生活だ。ギャップがあればモテるし面白い。ギャップがなければ勉強が出来るし面白い。似ているものを探してみよう。山に皆と山に向かう夢を見た。駅員さんらがゴツいカメラで可愛い犬を撮っていたので、俺らも一緒になって撮った。無言で撮り始めると帰属意識が大きくなって安心するなあ。無言は、いっつも重要だ。

人を笑わせなければ、もしくは笑わせることが出来なければ生きている価値が無いとばかりに僕は人を笑わせることばかり考えている。しかしあの日の野球部たちやテレビのお笑い芸人や、尊敬する人達ほど人を笑わせたことは無い。本当にギャグセンスが低いと思う。こんなに笑わせたいのにな。真顔、無言で何かをすると笑かせると思った。僕は笑顔に発達したので、にらめっこが苦手だ。憂鬱だ。皆はいいなあ。

そう、似ているものを探すんだっけか。無言で示しあわせたようにカメラを持ち出すと笑える。仕事をしないで可愛い犬を撮り始める駅員。ロックンロールというやつだ。ロックンロールが反社会的という意味か自己中心的という意味か分からないな。なるべくなら使いたくない言葉だ。しかしこの駅員たちの行為は反社会的でもあり自己中心的でもある。ロックンロールは適切な言葉…そういう風に使役しただけだ。

ああ、あの時も、ブログをアピールしていた時もこういう風に力を抜いて執筆、寄稿(どっちだ?どっちでもないか?)すればよかったんだ。それは間違いか。何が良かったかなんて簡単に決められるものじゃない。誰にも評価されていないことを羨ましがる人だって居る。僕がそうじゃないだけだ。よく考えればなんの憂鬱も無い。なんで憂鬱があるんだ。

誰も教えてはくれない。そうだ、勉強をしよう。